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児童虐待から。法律と個人の目
2018年06月10日
2日前の児童虐待(この言葉も甘いと思っています)のニュースの件は、至急法律改正が必要であること、
国に予算とってしっかりシステム作ってもらいたい、と思うこととともに。
「親」とななんなのか
考えさせられました。
なんのために、親の権限は日本でこれほど優位性を与えられているのでしょう。
昔の家督制度の教育もあるでしょう。
しかし、現代の日本では家を守る意識も希薄となり、個人ベース。
西洋のように社会全体で子供を育てる意識もない。
他人の子が辛い立場であるなら、
街でヒステリックな叱りをしている親に会ったなら。
高齢者が電車で立っていたなら。
その他全て…。
目をつぶらない私であること。
それだけはずっと守っています。
今の私にできること。それくらいだけど、見てみぬふりしない。
これだけはいつも頑張っているの。
具合悪そうな男性に声かけて、大丈夫ですか?
と聞いたら、ウルセイ!と怒られたこともあり!
恐かった。
この現実、人間が変わってきてしまった現実に、背筋ぞ~っとしたり恐怖心はある。
でもね。
黙らない凜とした自分でいたいのです。
ひとりにとりがせめて。法律が変わる前にしていこう。
今回の5歳の命。
あまりに命がむごく可哀想で、苦しくなる。
人間は本来は残酷なものだという説もあり。
ですが、モラルを学び、社会に生きて、私たちは愛情をもち、命を育み子孫を残すようにしていいるはず。
命を奪う「親」ならば、そこに権利を与える意味はないことだけは確かなはずです。