フードの仕事に何故なったか、聞かれること多い。
私の略歴では珍しいから。
食の様々に触れる家や周囲の環境でした。
親は「日本一うまい」「世界一うまい」と聞くと、必ずその店や料亭旅館やホテルに連れていきました。
海外でも平気でがんがん連れていきました。
美味しいといわれるものは、本当に食べました。
でも、彼はグルメ嗜好ではありません。
仕事に休みない彼の精一杯の家族孝行です。
彼の仕事上も必要でした。
食事の上で、ビジネスのことも私も学びました。
取り寄せが流行りでなかったことは、お中元とお歳暮に普段買わないものが多々届いていました。「本当にうまいのか、自分の目で確かめなさい」といい、情報に泳がされないことを私に期待したのでしょう。
祖父母も親戚も美味しい料理へのこだわりは、多角的視点で私に攻めてくる環境で育ちました。
こういう話は、自慢になるので当時は話ませんでした。
でも、自慢でも何でもなく、良いかどうかはわからないのです。
そんな環境でなかったら、他の良い人生もあるかもしれないし、
人間は小さな存在ですから、与えられた運命を真っ当するしか、ないんですもの。
その後も学生時代は一人でも私も作って、食べ歩いて、を繰り返しました。
今は、私も、グルメ嗜好はないです。
食はグルメからは生まれてきません。
その経験は何に生かす、どう生かすのか、人それぞれなのです。
グルメの生かし方は、食べつくした、その後の方向で決まるのです。
母は徹底的に調理と食卓つくりに手抜きできない人でした。
私を健康に成長させたいという思いと、家事は仕事としてきっちりやるという
凛としたスタンスだったからです。あっぱれなほど手を抜きませんでした。
茶道や華道を教えて、ゴルフほか趣味も多数ある彼女。
全てに手抜きができない真面目な性格なのでした。
一人でも食べ歩きと、料理を自分で勝手にアレンジするのは私は好きでした。
今、料理好きという人がある意味、気の毒に思う。それは、あまりに全てが揃っている時代だから。
私の幼いころは、そのままかけるだけの様々な用途の調味料は加工品はなく、シンプルな調味料をあわせて、新しい味や似せた味を工夫するということ、それによる想像力ができて、新メニュー開発を何でもやっていったわけです。
楽しかったな〜。
食を仕事にする気など考えたこともなく、ただ、好きだったんですね。ラーメンにミルク入れたり、豆乳シチューも、当時の豆乳は美味しくなくて、何とか面白いものできないか、数十年前やっていました。
今も、私は調味料はシンプルです。仕事で使いますが、自分用は、いたってシンプル。だって作ればいいものね。
シンプルな時代、今の子どもたちにも教えてあげたいですね。
食は、人の価値観に及びます。