船場吉兆ではなく、料亭吉兆さんには、幼い頃が特に多いのだが、
家族でたびたびお邪魔してきた。
だって昔は、こんなに飲食店もおいしい懐石も会席も、京都行かないとなかなかなかったもんね。
吉兆さんは信頼できて、重宝させていただいていた。
船場吉兆の会見についてニュースが取り上げている。
老舗が名前を守る
ということは、大変な努力がいるでしょう。
わたしたち、批判は簡単。
でも、名前を守ることと同じに
ココロを守ることも、やらねばいけないってのも事実と思う。
客は料理の美や調理や食材やもてなしを食べるだけでなく、
店のココロもいただきたいのです。
可食かどうかの判断をマニュアル化していなかったみたいですが、
本来は、職人の目や勘や技法で解決してよいものだと思う。
でも、販路を広げるつもりなら別。
そして時代が「別」を作っている。
その「時代」に載った食を商売にする以上は、ともに改善しないといけない。
でも、食はそればかりでなく、
本来は、職人の力量で解決していくことが多々あるはずなのだ。
昔ながらの目利きをしているプロを「それじゃだめ」と短絡的に判断することも避けねばいけない。
沢山、今もいらっしゃるのだから。
日本の財産なのです。
そういう方々は。
だが、
ココロのある職人自体がいない今となっては、
マニュアルも守らねばならない技術のうちか。
消費者を経験やプロ意識が守るのでなく、マニュアルや情報が守る時代だ。
それにしても、
私の思い出の老舗店が今年ノキナミギャフン!悲しい。
ほんとに、悲しいな。
でも、吉兆本店には今後も伺いますよ、別だからね。